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天女の試練

 桃、橙、黄緑、水色の透けた幡がひらひらと風に揺れていました。天井は高すぎて見えません。この幡が一体どのくらいの高さから垂れてきているのか、明かりのない天井を見上げてもここからは何も見えません。
 
 部屋は、天井の高さに比べるとそれほど広くはなくて、漆喰の白い壁が私の右手と左手からそう遠くないところにありました。また前方遠くには、神事に使われる立派な能舞台があります。私の足裏には、ひんやりとした冷たさがありました。見渡す限りに白い石の敷き詰められていて、私はそこに裸足で立っているのです。石はどれもこれもお団子くらいの大きさで、角がなくて丸い形をしています。川原でよく見かける石ととても似た形をしていました。
 
 前方の舞台との間、丸石の敷き詰められた床の上には、橋が何本か浮いていました。どの橋も夕暮れの太陽のように真っ赤ですが、よく見ると柱の縁や手すりに黒の縁取りや金の装飾が施されています。神の愛する樹木の葉が描かれているのが、ここからでもよく見えました。
 
 ふわりと風が吹いて、さやさやと幡が靡きます。ゆっくりと時間をかけて、漆喰で囲われたこの部屋に優しい光が満ちました。眩しさを感じさせず、暗すぎもしない柔らかい光。再び天井を見上げると遥か遠くに四角い窓枠があって、その中に満月が収まっています。空に雲はなく、夜空に浮かんだ満月の周りは仄かに緑がかっていました。
 
「月が満ちましたね。 もう次期試練が訪れます。」
 
 背後で声がしました。部屋の全てに響き渡る、よく通る声です。私はてっきりここには自分しかいないと思っていたので、驚いて振り向きます。
 
「衣が全て藍に染まったら、すぐにここは水で満たされます。 どうか水には触れぬよう、お気をつけて。」
 
 私の振り向いた先には、背の高い青年がいました。白い着物に紺色の袴を纏っています。おそらく神子なのでしょう。
 
「もしうまくいかなかったらどうなってしまうの?」
 
 幼さの残る私の声が、部屋の中に小さく響きます。月明かりで明るいのに、彼の頭上にだけ影が差していて顔がよく分かりません。表情はほとんど分からないけれども、彼は笑みを浮かべているように見えました。
 
 程なくして鼻の奥がツンと痛みを持ちました。嗅ぎ慣れない生臭さがそこら中から沸き立って、どんどん部屋に充満していきます。顔を上げると、カラフルだった幡は全て藍色に染まっていました。
 
 ここにいてはいけない。前に進まなければならない。水に触れてはならない。いくつもの禁忌が頭を過ぎります。理由の分からない焦りが心臓を刺激します。ここにいてはいけない。ここにいてはいけない。ここにいてはいけない。
 
 気付くと私の足は、丸い石の上を駆けていました。水に触れてはいけないという禁忌によって突き動かされた身体は、私の意思などお構いなしに最も近い赤い橋へと向かいます。思ったよりも橋はすぐ近くにあって、橋に到着した私は小さい身体を捩って橋の上にのぼりました。それから小高いアーチ状の橋板を駆けます。橋の頂の、榊の葉の装飾まで達した時、ようやく私の心は安心感を得ました。ここまで来てしまえば、水に浸かることはないでしょう。
 
 その時です。天井の窓枠から強い風が吹いて、全ての幡を頭上高くまで翻しました。遥か頭上にある窓枠の中の満月が、紫色の妖しい光を纏って揺れています。おそらく満月によって生み出された神聖な風が、悪いモノを一掃したのです。その証拠に部屋の空気は一変していました。満月の煌びやかな香りに満たされていて、嫌な生臭さは微塵も感じません。天井から垂れている幡も紺色ではなく、桃や橙や黄緑や水色といったカラフルなものに戻っていました。
 
 幡の色が変わってしまわない内にと、早々に橋から降りて先を急ぎます。白い石の上を歩いていると、体の節々に違和感が生まれて関節に軋みが生じました。やがて軋みは痛みに変わり、筋肉も引き伸ばされているかのような痛みを持ちました。しかしながら足を止めるわけにはいきません。なぜなら私は再びあの生臭さを感じ取っていたからです。耳を澄ませば水の移動する音も聞こえます。天井から垂れる旗の色は紺を通り過ぎて、黒に近い色をしていました。
 
 急がなければ水に触れてしまうかもしれない。私はまた、次の赤い橋を目指して駆け出しました。走り出すと、私の身体を襲っていた違和感はより鮮明に私に苦痛を与えます。体の節々が痛くてうまく走れないのです。体はやけに重く、胸もいつの間にか膨らんでいて、揺れる度に痛みが走ります。また湿気を吸ったように重くなった髪が、前進する度に私の頬を乱暴に撫でました。
 
 ようやく赤い橋に辿りついた時、水の気配はすぐ足元まで迫っていました。丸石が水に押されて、かたかたと揺れ始めていたのです。重い身体をどうにか橋に乗せ、榊の葉の元に辿りついた時、私は宙に浮かぶ赤い舟の上に立っているようでした。白い石の下から沸き出した大量の水が池を形成し、その水面の全てで満月の光を法則なくきらきらと輝かせているのです。藍色の幡の影もあって、夜空で瞬く星々のような美しさでした。
 
 美しい世界に目を輝かせていた私の瞳が、水面に写った自分の姿を捉えたとき、私は小さな悲鳴を上げました。水面に写った私の身体はいつの間にか背が高くなっていて、髪も床に届きそうなほど伸びているのです。また私が身に着けていた白い着物と赤い袴も、私の体の成長に合わせて丈を伸ばしくれているようでした。
 
 満月の風を受けて、水が白い石の中へと吸い込まれていきます。角のない丸い石は河から運び込まれたのかも知れないと思っていたのですが、その考えは既に払拭されていました。おそらく何百年も同じことを繰り返しているのです。何度も何度も、繰り返し水が沸き、引いていく。そのたびに小石は隣の小石とぶつかって転がって、そうやって角が取れていったのでしょう。
 
 水が完全に引くと、私は急いで橋を降りて先を急ぎました。なぜなら次の橋までは、これまでのものと比べると間隔がかなりあったからです。またどの程度の時間で幡が紺色に染まり、それからどのくらいの時間を経て水が沸き出すのかは予測がつかないのですから、私には先を急ぐという選択肢しかありませんでした。
 
 急いだ甲斐あって、次の赤い橋を目前にしてもまだ幡の色は変化していませんでした。橋の上によじ登り、橋板を進みますが、違和感があります。あるはずのもの、目指していたものがないのです。この橋の頂には、あるはずの榊の葉が描かれていませんでした。正確には、おそらくは描かれていたものが、経年変化によって掠れて消えかかっていたのです。これでは榊の加護、ひいては満月の風を受ける事は叶いません。
 
 慌てて次の橋へと目標を変更し、私は駆け出しました。運の悪い事に辺りは生臭さで満たされはじめています。急がなければ。急いで橋の上の、榊の葉の元に辿り着かなければ。焦る気持ちとは裏腹に、身体はうまく動いてくれません。成長はまだ終わったばかりで、身体の隅々まで自在に操れないのです。重い袴に気をとられていた私は足に長い黒髪を絡めてしまい、とうとう石の上に倒れてしまいました。
 
 耳元の丸石の下では、こぽこぽという水の流れる音がしました。音はとても近くまで迫っていて、一瞬だって無駄にはできないのだと悟ります。けれども体が重たくて、起き上がるための力をうまく込められません。内在的な関節や筋の痛みに加わり、丸石に打ちつけられた際の物理的な痛みが全身を襲いました。
 
 私の頭の中で、これ以上は進めないといった弱気な思いが浮かびました。最初から私には守れない禁忌だったのかもしれません。身の丈に合わないことだったのかもしれません。
 
 手のひらの下にある丸石をぎゅっと握ってみると、角がなくて真ん丸なのに、思いの外ざらざらとしていて冷たいものでした。この石の下から沸き上がる水に触れたとき、私は一体どうなってしまうのでしょう。青年はなんとも答えてくれはしませんでしたが、おそらく良くない事が起こるのでしょう。
 
 今とどちらの方が苦痛なのでしょうか。私の身体は今、全身で軋みをあげているのです。痛みは骨まで染みていて、進むことが辛い。生き続ける事が辛い。それならば、すぐにここを満たすであろう冷たい水に溺れてしまって、やがて命を失うこともそう悪い事ではないかもしれない。
 
 ぼんやりと考え事をしていた身体には、かたかたという水に押された丸石の揺れが鮮明に伝わっていました。先ほどまでと打って変わって、指先から爪先までの感覚がはっきりしているのです。小石を握る手に入る力も、先ほどまでとは比べ物になりません。今さらになって、私はどうやら自分の体の隅々まで自在に操れるようになったようでした。
 
 また、小石に強く打ちつけられた時の痛みはだいぶ和らいでいました。今ならきっと起き上がれる。丸石をぎゅっと握り締めたまま全身に力を入れてみると、思っていたよりもいとも容易く身体を起こすことができました。なんて愚かなことを考えていたのだろう。じゃりじゃりと丸石の上を駆けながら先ほどの考えを払拭するべく頭を強く振りました。私はまだ生きているのだから、生きられる限りはこの生を全うしなければならないのです。赤い橋まで約五十歩。どうか間に合って。水の気配は、すぐそこまで迫っていました。
 
 ようやく赤い橋にたどりついた時、じわりと水が姿を現し始めていました。橋の手すりに掴まって、ぐいと身体を橋に寄せます。
 
 ばきり。
 
 しかしながら私の身体は、橋の上に上る事を許されませんでした。急成長した体の重みを、私は十分に理解していなかったのです。幾度となく水に浸り、鮮やかな赤色の内側で密かに腐食し始めていた木製の橋はもう、想定外の力には耐えられなかったのです。
 
 私の体が、満月の光を十分に満たした水面に落下していきました。黒い髪が身体を包み、視界が闇に染まります。足の感覚がなくなり、嫌な生臭さが私の体から発せられているのではと思うくらいに濃くなりました。おそらく私は、神に見放されたのでしょう。当然です。生を全うしないということは、神に背くことなのです。ただでさえそんな考えを抱くことは許されないのに、ここは、――――。
 
 
 
 白い着物と紺色の袴を身に付けた青年が、真っ白な漆喰に囲まれた部屋の中でただひとりぽつんと水の上に立っていました。天井からは燦々とした陽の光が差し込んでいて、辺りはとても明るく、水面で跳ね返った光によってきらきらしています。
 
 青年は水の中に手を入れて、くるりと輪を描くように水を掻き混ぜてから言いました。
 
「七度生を全うした後にまたここへおいで。」
 
 ぴちゃん。
 透明な水面で、返事をするように一匹の鯉が跳ねました。白地に赤と黒の混じった、綺麗な錦鯉でした。

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プロフィール

帝埜 やしる

Author:帝埜 やしる
 
好きな作家:
 村上春樹、森見登美彦

作品の内容:
・ローファンタジー
・夢で見た内容など

執筆中:
・くじらの夢
・時計部屋の鍵と少女
・時市

完結:
・背の高い刑事と傷の少ない
 犯人の話
・ワールドプラネット

短編:
・タッタカタン
・冬の香り
・砂浜で埋もれていた亀の話
・公演会と誕生日会
・Settle Down
・ガラスの外殻を持つランプ

即興小説トレーニング
・甲板の男
・死にかけの血液
・気付かない振り
・二つの朝
・夢

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