スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

二つの朝

 私には朝が二つある。 一つは他の人と同じ時間帯、たとえば陽が昇る前から弁当を作りはじめる人ならば4時半であり、午前の講義やゼミのない大学生にとっては10時である朝だ。 あなたの思う朝とは何時頃ですかと尋ねた場合に、もっとも答えの多い時間帯だろう。

 もう一つの朝というのは夕方6時から6時半である。 私の慣れ親しんでいる表現で言えば18時頃。 夜仕事場に向かい、日付をまたいで早朝帰宅する私の起床時間でもある。 私の生活はいつもこの時間帯から始まるのだ。

 朝というのは、陽が昇ってから正午までの間の数時間を指すものらしい。 全く異論はない。 まぁ、そうだろうと頷けるぐらいだ。

 けれどもその理論で朝を定義してしまうと、いくつか弊害が出てしまうことにお気づきだろうか。 例えば弁当を作るために早起きする人だ。 午前4時30分というのは、春夏は確かに朝であるといえよう。 けれども冬に関しては、必ずしもそうであるとはいえない。 冬というのは陽が最も働かない時期なのだ。 春夏には確かに朝であった4時30分も、冬には朝ではない時間になってしまうのだ。 お弁当を作るために起きる人は大変早起きしているのではなく、夜早くに寝て夜中の内に起きているということになりかねないのだ。

 別にそんな事はどうでもいいと考えるかもしれない。 たとえ言葉の上では朝でなくとも、時間の上では朝なのだから構わないのではないかと。 そう言われてしまうと多少困ってしまうのだが、そうならない材料についても勿論用意してあるので安心して欲しい。

 設定が細かくて申し訳ないのだが、たとえば真冬の午前4時30分から、どこかのダムの側で土木工事を開始しなければならないとしよう。 配布資料には早朝4時30分とはなく、朝の4時30分に作業を開始しますので、10分前に集まってくださいとあったらどうだろうか。 存在しない時間帯を指定されているという屁理屈をこねることができてしまうのだ。 それでは現場監督も依頼主も大変困ってしまう。 たしかにそう言われればそうかもしれないけれども、と納得せざるを得ないかもしれない。 そうならないためにも、陽が昇ってから正午までのいくらかの時間を朝と定義してしまうのはよくないのだ。

 だから私は朝という単語を、人間が目を覚まして働くなどの活動を開始する時間帯という意味で捉えている。 こちらの意味で捉えれば、弁当を作るために早起きする人にも、午前の講義がなくて昼前に起きる人にも、私のように昼間に寝床について夕方に起きる人にさえも、平等に朝が訪れる事になるのだ。 朝というのは、望めど望まねども、人類に平等に与えられるべき権利のようなものだと考えている。 現代の言葉で代替するならば、日照権のようなものだ。 人々は人間生活を送る上で、朝権を平等に手にしているのだ。

 そう言うわけで、私には二つの朝がある。

 勿論これが屁理屈であり、詭弁であり、(たとえば白夜などで)朝を迎えなくとも人間生活を送るに支障はないことを私はよく理解しているし、反論の余地はないと気付いている。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

帝埜 やしる

Author:帝埜 やしる
 
好きな作家:
 村上春樹、森見登美彦

作品の内容:
・ローファンタジー
・夢で見た内容など

執筆中:
・くじらの夢
・時計部屋の鍵と少女
・時市

完結:
・背の高い刑事と傷の少ない
 犯人の話
・ワールドプラネット

短編:
・タッタカタン
・冬の香り
・砂浜で埋もれていた亀の話
・公演会と誕生日会
・Settle Down
・ガラスの外殻を持つランプ

即興小説トレーニング
・甲板の男
・死にかけの血液
・気付かない振り
・二つの朝
・夢

最新記事
作品一覧
最新コメント
募集中です        よろしくお願いします

この人とブロともになる

訪問者数
リンク
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。