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時計部屋の鍵と少女 1

「鍵、どこに仕舞ってあるのか、知ってる?」

 屋上へと続くたった四段の階段の、一番下の段に腰掛けていた少女が訊いた。少女の髪は長く、白い。ふんわりと空気を含んでいるその髪は、まるでわたあめか羊の毛を彷彿とさせた。しかしながらわたあめのようにべたべたはしていないし、羊の毛のように汚れてもいない。ふんわりと少しだけ重力に逆らいつつも、毛先はちゃんと下を向いている。

 少女の大きな褐色の瞳が私の顔を覗きこむ。少女の目は、暗い所だと茶色に見えて、太陽の下だと赤に見えた。足も手も首も耳も真っ白なのに、少し小さめの唇とふっくらと柔らかそうな頬だけは薄く紅色に色づいている。けれども少女の顔ははっきりとは見えない。彼女はまるで、ざらざらの紙に色鉛筆で描いた絵のようにぼやけていて、儚かった。

「鍵って、どこの?」

「まぁ! 忘れてしまったの?」

 少女がわざとらしく口に手を当てて、大きな目をより大きくして言う。

「鍵が掛かっているのは、柱時計だけでしょう?」

「そうだったかも知れない。」

 私は曖昧に答えた。記憶を遡ってみるが、私の頭の中に鍵の掛かった柱時計はない。ただし、時計部屋には覚えがあった。ここには、私の背後三段上の階段を上がったところにある扉の外の屋上と、私と少女が腰掛けている階段を上がらずに、私達からみて左手側にある廊下を少し進んで、更に階段を上った先にある屋上の二つの屋上がある。後者の屋上へと向かう途中の踊り場に、窓もドアも無い壁一面を埋め尽くす巨大な壁時計があった。その時計には大きな窓があり、窓の中には大きな木製の鳩がいる。木製の鳩は、毎日必ずお昼の12時きっかりに顔を出しては身体を揺らしながら鳴き声を響かせた。

 そして鳩が出てくる扉の真下には、大きな金色の振り子と筒状のおもりがあって、さらにその先には何時になっても何も出て来ない木製の大きな扉があった。扉の奥に何があるのかは知らない。確かめようにも、扉には鍵が掛かっていて開かないのだ。

「どうして柱時計の鍵の在り処を知っているの?」

 私は少女の方を向いて尋ねた。自分としては真面目に尋ねたつもりなのだが、何がおかしいのか、少女は口に両手を当ててわざとらしく声を漏らして笑いだした。それからしばらく笑い続けて、一頻り笑った後に制服のスカートのポケットから金属製の鍵を取り出した。鍵は少女の小さな手から随分はみ出すほど長く、所々錆びている。しかしながら錆びていない部分は、蛍光灯の光を金色に反射していた。

「あそこの鍵を隠したのは、私なのよ。 あの中には、沢山のお宝が詰まっているの。」

「お宝?」

「そう。 私はそれを独り占めしようとした。 でも、しなかった。」

「……どうしてそうしなかったの?」

 私は尋ねる。私の問いに少女は、今度は少し困ったような顔を浮かべた。何も言わずに私の手を取って、小さな手に握っていた鍵をそっと置く。鍵は思いの外ずっしりと重たくて、ひんやりと冷たかった。ふと、おかしな事に気がつく。不思議な事にそれまでは存在していた錆が一ヶ所も見当たらなかった。鍵は見事に磨かれていて、全身で蛍光灯の光を反射しているのだ。

「私には鍵が開けられなかったの。 力が足りなかったのかもしれないけれど、おそらく、私じゃダメなんだわ。」

 言って、少女は立ち上がり、スカートについたほこりをぽんぽんと叩いた。

「だからあなたに、鍵を開けて中を見てきて欲しいの。 それで、もしそこに赤い金魚のカンカンがあったら、取ってきてほしいの。」

「カンカン?」

「そう。 小さい頃に、郵便局でもらったものよ。 小さいけれど、ずっしりと重たくて、左右に振ると、中で転がるような感じがするはずよ。 お願い。」

「わかった。 赤い金魚のカンカンね。 持って来る。」

「ありがとう。」

 少女は、嬉しそうな言葉を残して消えた。存在が曖昧で儚い少女。消える事はなんとなく分かっていたから特別驚きはしなかった。彼女から手渡された鍵をぎゅっと握り、目を閉じて鍵の重みと温度を感じる。鍵は少女の手の中にあった時はとても大きく見えたのに、私の手の中だとそうでもなかった。それに私の体温が伝導して、少し温い。

 少し温くなった鍵を握り締めて、私は腰を上げた。少女は私に時計部屋の鍵を開けることを望んでいて、赤い金魚のかんかんを取ってくることを望んだ。たとえこれらの事がなくても、開かずの間の鍵が手に入ったのだから、あの扉の先には何があるのかを確かめないわけにはいかない。

 私の右手側には下へと降りる階段があって、左手側には更に上へと続く階段がある。私が進むべき道は勿論、左手側の上へと伸びる階段だ。私は上履きのゴムを鳴らしながら、もうひとつの屋上へと続く廊下を進んだ。

 廊下を少し進むと、早速階段があった。廊下に比べて階段は薄暗くて足元が良く見えない。しかしながらここの床は階段も廊下も滑りにくいゴム製であり、階段には滑り止め加工までしてあるため特に不安はなかった。しかし万が一のことを考えて、私は手すりから手を離さないことに決めた。手すりは丸いスチール製で、触れるとひんやりと冷たかった。

 二つ目の踊り場を過ぎたあたりで、段々と規則的な音が耳に入るようになった。この階段は全部で7回の折り返しがある。屋上のドアは最上階の踊り場にあり、時計部屋はその2つ下の踊り場にあった。階段を上るたびに、規則的な音は大きくなっているような気がした。かちり、かちりと、心地よいリズムを奏でている。四つ目の踊り場を過ぎた辺りで、その音はさらに明確に聞こえた。がちり、がちり、がちり、がちり、と硬くて重たい音が響く。やがて目的の踊り場へとたどりつくと、その音はむしろうるさいくらいになっていた。

 金色のローマ数字の時字が等間隔に並んだ、少しコーヒー色に染まった文字板。その下には大きな金色の振り子があって、金色の細長い筒が二つ、静かにぶら下がっている。振り子の先には、暗くてよくは見えないが確かに、金色のノブのついた扉があった。

 私は振り子をかわしてその奥の扉へと向かう。扉は木製で、陽にやけた様な色をしていた。手の中の金属製の鍵を、右のノブの下にある鍵穴に差込む。それと同時に、少女のぼやけた顔が脳裏に過ぎった。

「私には開けられなかったの。」

 私にも開けられなかったらどうしよう。そう思う反面、私にはなぜか絶対に開けられるという確信にも似た自信があった。一呼吸置いてから、少し力を込めて鍵を捻る。

 ぎりりりりりっ、がちっ。
 しかしながら私の覚悟などは微塵も必要ではなかったらしい。私の手の中で温くなった鍵は、思いの外簡単に、音を立てながらぎちりと一回転した。
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時計部屋の鍵と少女 2

 ポーン。ポーン。ポーン。ポーン。
 ガチン。ガチン。ガチン。ガチン。

 右上から金属を叩いたような音が響き、頭上から左側にかけての広い範囲で歯車の噛み合う音がいくつも聞こえる。柱時計の扉の先は暗い通路になっていて、天井には所狭しと歯車やぜんまいやおもりがあった。それらは全て独立したテンポで動いていて、歯車が噛み合う度に、ぜんまいがまわる度に、おもりが動くたびに、それぞれの音を響かせている。通路に明かりは無いが、通路の先が明るいため足元に不安は無かった。通路の先には部屋でもあって、照明が点けっぱなしになっているのかも知れない。

 明かりに近づくにつれて、緑茶のような芳しい葉の香りが鼻孔をくすぐった。その香りが緑茶の香りではなく、い草の香りだと気付くのにそう時間は掛からなかった。私は通路を渡りきり、左右に広く伸びた長方形の大広間に出たのだ。大広間の床一面に、青々した畳が敷かれていた。

 しかしながら私の視線は、畳よりももっとカラフルなものに奪われていた。左右に広く伸びた大広間を囲うように、様々な絵柄の襖が並んでいる。襖の上には戸のない押入れが縦に二つ並んでおり、その押入れには所狭しと何かが並べられていた。何が並んでいるのか遠すぎて見えないため、私は大広間を横断する事にした。

 柔らかみのある畳の上を歩いて大広間を半分ほど横断した時に、私は襖の絵柄についてとあることに気が付いた。丁度目の前の襖には、真っ黒な葉が四枚ついた真っ赤な多弁の花が描かれている。牡丹だ。そして牡丹の周りには、黄と赤で彩られた蝶が三匹舞っていた。これは花札だ。目の前の襖は、『牡丹に蝶』だった。『牡丹に蝶』の襖の両隣には牡丹の花がちりばめられており、左手側に進むにつれて牡丹が菖蒲に変わり、右手側の牡丹は萩に変わっている。さらに進むと左手側の菖蒲には八橋が、右手側の萩には猪が現れた。どうやらただ花札の絵柄を写しただけではなく、暦の通りに並んでいるようだった。

 目の届く範囲にある襖を眺めながら歩いていると、いつの間にか対面に辿りついていた。美しい牡丹の描かれた襖が近いせいか、甘い花の香りさえする気がする。私は襖から少し離れて、『牡丹に蝶』の襖の上の戸の無い押入れを見た。

 戸の無い押入れの中には、ブリキ製の青いロボットや、緑のロボット、飛行機、怪獣の人形、角のない木製のアヒル、達磨落とし、カエルのブラスバンドの一隊、紙粘土で作られた猫の置物、達磨、マトリョーシカ、ウサギのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみ、紙風船、めんこ、ビー玉……、そういったものが所狭しと並んでいた。

「すごい……。」

 思わず感嘆の声が漏れる。誰が見たって目を輝かせるに違いない。花札の絵柄の襖の上には、確かにお宝があった。

「でも、一体どこから上るの。」

 私は『牡丹に蝶』の襖に手をかけて、とりあえず引いてみた。襖は音を立てずに動いたが、襖の置くにはベニヤ板が張られていてなにもない。一応、隣の牡丹のみが描かれた襖も引いてみるが、同じくベニヤ板が張られているだけで、何も無かった。

「一月に行くといい。」

「鶴に噛まれないようにね。」

「えっ?」

 頭上から声が掛かって、私はぎょっとした。しゃがれた渋い声と、幼い男の子の声。私は牡丹の襖から離れて、襖の上の、宝の並んだ戸の無い押入れを見る。じっと達磨とブリキのロボットのある辺りを見て、それから左右に視線を動かした。しかしながら人影は見当たらない。そもそもいくら沢山の人形やぬいぐるみが並んでいるとはいえ、人影があれば気付くはずである。子供だけならばまだしも、明らかに子供とは違うしゃがれた渋い声も聞こえた。ということは、もう一段上の押入れにいるのだろうか。『牡丹に蝶』の襖のすぐ上の押入れではなく、その更に上の押入れを見るために、もう数歩襖から離れようとした時だった。

「わしを探しておるのか?」

 ズッと擦れる音がして、ブリキ製の青いロボットの隣にある達磨が動いた。しゃがれた渋い声。先ほどの声だ。

「あ、あああ、えっと、」

 言葉が詰まってうまく紡げない。達磨が喋るなんて。達磨がひとりでに動くなんて。確かにここは子供の宝が詰まった夢のような世界だ。でも夢のような世界であって、夢の世界ではない。達磨は喋らず、動かない世界のはずなのだ。

「何を恐れているんだ。 ぜんまいを巻いたのはお前さんだ。」

「……ぜんまい?」

「貯蔵されたエネルギーは有限だ。 早くしないと、見つけられなくなるぞ。」

 言って、達磨は目を閉じた。正確には達磨の瞼が下りたのではなく、達磨の目から墨が抜けて、目が消えた。何がなんだか分からない。けれどもどうやらここに居られる時間には限りがあるらしい。私は達磨の言葉を頭の中で整理した。確か達磨は、一月と言っていた。一月の花札は『松に鶴』であり、確か鶴に噛まれないようにとも言っていたはずだ。

 誰が?

 私は再び達磨を見る。達磨は目を閉じたままだ。しかしながら達磨の隣に直立するブリキの青いロボットが、肘の曲がった両腕を交互に上げ下げしていた。

時計部屋の鍵と少女 3

 達磨と青いブリキのロボットの言葉に従って、私は『牡丹に蝶』から『松に鶴』へと向かった。襖のそばを歩いていると、私の鼻孔を満たしていた香りが変化した事に気付く。襖を見ると牡丹が菖蒲に変わっていて、香りもまた同様だった。おそらくこの襖一枚一枚に、それぞれの花の香りが付けられているのだろう。私が振り返る風を受けて襖の中の菖蒲がさやさやと揺れる気配がした。でもそれを認めてしまうのが恐ろしくて、私は先を急いだ。

 『藤にホトトギス』の襖の先で、部屋は直角に曲がっていた。この部屋は入って左側が1月から3月、正面が4月から9月、右側が10月から12月の絵柄になっているのだろう。襖の枚数はひとつの月につき4枚なので、ここから『松に鶴』の一番最初の襖へは、少なくとも8枚の襖を過ぎれば辿りつくことになる。ずっと同じ絵柄の襖というのも嫌だろうが、全く絵柄がばらばらで移ろい行く絵柄というのも落ち着かないもので、目的地まであとどれくらいなのかという情報は少しだけ私の心の緊張を和らげた。

 襖の上には相変わらず扉のない押入れのような空間があって、隙間なしに『物』が並んでいる。これだけ細々した物が大量に並んでいるのに、ホコリを被ってはいないようだ。もしかしたらここを清掃する人が居るのかもしれないが、人の気配というものは全く感じられない。だいたい、私がこの広い畳の上をぱたぱたと音を立ててあるいていれば、もし人がいるのであれば気になって様子を見に来るはずだ。そうしないということは、たとえここを清掃する人がいたとしても今はいないのだろう。あるいは人ではなく、掃除することを生業とする何かが住みついている、なんて案も思いついたが、私は首を振ってそれを否定した。

 答えのない問いや戸惑いを頭の中で繰り返していた私は、嗅ぎ慣れた樹木の香りに足を止めた。すがすがしくも心を落ち着かせるこの香りは、松だ。襖を見る。考え事に耽っていて気付かなかったが、私はいつの間にか8枚の襖を通り過ぎて、『松に鶴』の襖に辿りついていた。

 真っ白な羽根を広げた鶴が、襖の中できぃきぃと声をあげる。ばさ、ばさと二度羽ばたいて、私を見つけた。香る草木、揺れる花、羽ばたき、私を睨む鶴。襖は生きている。この狭い狭い四角い世界の中で、彼等はただの札の一枚としてではなく、木として花として鳥として蝶として、生を受けたのだ。

 羽根を仕舞ってこちらに歩む鶴を見て、青いブリキのロボットの言葉を思い出した。

「鶴に噛まれないようにね。」

 襖の外にいる私によって生じた風で、襖の中の菖蒲が揺れたように、襖の中の鶴が襖の外に飛び出して、私の腕や足を噛む事だってありえるのかも知れない。少なくとも鶴は私に対して敵意を持っているように見える。危険だ。私は慌てて襖から離れて、辺りを見渡した。達磨の言うことには、このへんから上へと上がるためのツールがあるはずなのだ。

「あっ、あった!」

 『松に鶴』の4枚の襖の丁度真ん中には柱があり、その柱には木製の梯子が掛かっていた。その梯子は襖の上の開けた空間のさらに上へと続いている。どうやらここから上へと上がれということらしい。梯子に手をかけてみるが、軋みはない。それなりに頑丈に出来ているようだ。私は安心して梯子に足を掛けた。

 きぃきぃ。きぃきぃ。

 鶴だ。鶴の鳴き声が、私のすぐ足元から響いた。

 かつん。

 靴底への振動と共に、固い高い音が響く。音の出所は私のすぐ右側、右足の靴底。足をあげて確認すると、襖が不自然に盛り上がっていた。ただぼうっと盛り上がっているわけではなく、何者かが薄い一枚の布を突き破ろうとうごめいている。つんと尖った黄色い三角が、かちかちと開閉する。鶴のくちばしだ。

 かつん。かつん。鶴のくちばしが何度も開閉して音を響かせる。瞬間、がりっと、嫌な音と感触が右足を襲った。鶴のくちばしが私の靴を捕らえたのだ。私は慌てて足を振り、鶴を振りほどいた。それから一目散に梯子を駆け上り、襖の上の拓けた空間へと急いだ。

時計部屋の鍵と少女 4

 梯子を上がりきった先には、私にこの部屋への鍵を渡してくれた少女が言っていた通り、お宝が並んでいた。下からは見えにくかったが様々な年代の子供のお宝、おもちゃが所狭しと並んでいる。今はもうデパートで時折特設される駄菓子屋さんでしか見かけないようなものから、特撮ヒーローの変身グッズ、小物が可愛いドールハウス、異国で買ってきたのであろうお土産の品らしき人形やお面。どれもこれも個性的であって、普遍的であって、おそらくはだれかにとっての大切な宝物なのだろうと思われた。

「こっちだよ」

「え?」

 前方遠くから男の子の声が聞こえた。一応声のした方を注意深く見るが、やはり人影はない。私はお宝一つ一つを踏まないように気を付けながら、声の方へと進んだ。幸運にもおもちゃとおもちゃの間にはいくらか隙間があって、通路のようなものが出来上がっていたので、歩くのはそう難しくなかった。

 襖2枚分くらい歩いたところで、とあるものが私の目に入った。黄色い毛色をした、10cmほどのクマのぬいぐるみだ。私がそのぬいぐるみを手に取ろうと伸ばすと、そのぬいぐるみがぬっと動いて私の方を向いた。

「ひさしぶりだね。」

 言って、クマのぬいぐるみが小さくお辞儀する。それは私が幼い頃に常に傍に置いていたぬいぐるみであり、(小さいくせに)大五郎という名前がついていた。私は大五郎との遭遇に思わず手に取り抱きしめたくなったのだが、大五郎は伸びてきた私の手から一歩引いてそれを拒んだ。

「え?」

「……ごめんね。 本当は僕も一緒にいきたいんだけど、それはできないんだよ。」

 大五郎が申し分けなさそうに言う。私はとても残念だったけれども、彼がそんな言葉を言わなければならない心当たりがあった。幼い頃から大切にしていた大五郎は、何年か前の引越しの際に私の元を離れたのだ。新居でいくら荷を解いても、大五郎は出てこなかった。きっと荷物をまとめる際に、私の知らぬ間に、不要なものの仲間入りを果たしてしまったのだ。そのことを覚えていた私は、彼の意思に従って素直に手を引いた。

「そうだね。 でも、会えただけで嬉しい。」

「僕もだよ。 それより、時間がない。 早く探さないと。」

 言って、大五郎は座っていたところから飛び降りて、私の先を歩き始めた。

「金魚は確か、紅葉の上にあったはずだよ。」

「紅葉?」

「そう。 10月の『紅葉と鹿』のあたりだよ。」

「10月かぁ……。」

 私と大五郎はおもちゃを一個も踏まないように気を付けながら、早足で10月の襖を目指した。お宝の中には随所に大小様々な達磨があった。私達が達磨の傍を通るたびに達磨の目に墨が入り、先ほど会話した大きな達磨と同じしゃがれた渋い声で、私達に急ぐようにと言った。

 バチン。

 重たいレバーの落ちる音が響いた。広い空間にいるため一体どこから響いたのかはわからないが、天井の方から聞こえたような気がして天井を見る。天井は板張りされており、等間隔に丸い電球が埋め込まれていた。色の明るさからして、おそらく白熱電球ではなくLEDだ。その真っ白なLEDの一部が、ぽっかりと暗くなっていた。照明が落とされたのだ。おそらく達磨や、大五郎が言っていたのはこれのことなのだろうと理解する。

 貯蔵されたエネルギーは有限であり、もう時間がない。おそらくあの照明が全て落ちる頃には、私はここにはいられなくなるのだ。

「まだ大丈夫だから、焦らないで。 焦ってしまうと黒い靄がやってきて、余計に探し物をみつけられなくしてしまうんだって、昔教えてくれたよね?」

「……うん。 そうだったね。」

 探し物をするときに焦ってしまうと、黒い靄がやってきて、探し人をすっぽりと包み込んでしまう。そうすると探し人は決して探し物を見つけ出すことができなくなり、ようやく黒い靄が去った頃には、一体何を探していたのか忘れてしまう。

 私がまだ幼かった頃に、大五郎を抱きかかえながら読んだ絵本の話だ。なんというタイトルだったのか、探し人が一体何を探していたのかなんて、もう思い出すこともできない。しかしながらあの頃の大五郎のふかふかとした感触、温もりを私は確かに思い出していた。

 ヒヒィーーン。 キィーン。

 甲高い鳴き声が聞こえて足を止める。聞き慣れない声だった。しかし私の鼻孔には、嗅ぎ慣れた山の香りが広がっていた。積もった落ち葉を踏み締める蹄の、しゃくしゃくという音が自由気ままに移動する。

 大五郎はいつの間にか、幾重にも詰まれた棚の方へと歩みだしていた。木製の棚に、大小の赤が並んでいる。まさかと思い、慌てて駆け寄ると、大五郎はその棚の三段目へとぽんと飛んだ。

 大五郎の側には、そしてその棚の続く限りには、所狭しと金魚の形をしたカンカンが並んでいた。大小様々なくせにどれもおおもとの色は赤くて、同じような柄をしている。しかしながら全部が同じ柄というわけではなく、うろこにピンクが混ざっていたり、水色だったり、薄緑だったりしていた。また形も金魚型には違いはないのだが、顔がのっぺりしていたり、輪郭の凹凸がはっきりしていたりと、どうやら全て同じようで、一つとして同じ物はないようだった。

「それで、どんなカンカンなの?」

 大五郎は飛び乗ったところからさらに器用に棚を登り、私の目線と同じ高さまで移動してから言った。真ん丸の黒い目が、じっと私を見つめる。その顔はやはり幼い頃から見慣れた大五郎に違いはなく、話をするようになったとはいえ違和感はなくむしろ安心を得られた。

 私は目を瞑って、少女の言葉を思い出す。彼女は確か、カンカンについての説明を怠らなかったはずなのだ。

―――小さいけれど、ずっしりと重たくて、左右に振ると、中で転がるような感じがするはずよ。

「小さいけれど、ずっしりと重たくて、左右に振ると、中で転がるような感じ? って言っていた気がする。」

 目を開けると、大五郎が自分の背丈と同じくらいのカンカンを両手に抱えていた。そのカンカンを上下に大げさに振ると、中からはさらさらと砂の流れる音がした。

「なるほど。 一つ一つ振って確かめないといけないみたいだね。」

 言って、大五郎は困ったように首を傾げてから、両手に抱えていたカンカンを丁寧に棚に置いた。

時計部屋の鍵と少女 5

 バチン。
 大五郎が言うと同時に、再び視界が暗くなった。また照明が落ちたのだ。天井を見上げて確認すると、天井に埋め込まれた照明のうちの半数が眠りについていた。

「急がないと。」

 私と大五郎は、一緒に一つずつ振りながらお目当てのカンカンを探した。

 一つ目のカンカンは中身が空っぽではないかと思うくらい軽くて、左右に振ると重たいゴンゴンという音がした。転がるというよりは、裏側から打ち付けられているような衝撃を感じて、なんだか不気味ですぐに手を離した。

 二つ目のカンカンは、とても小さいくせにずっしりと重たかった。左右に振ると砂のようにさらさらと流れる音がして、転がるというのとは随分違うようだった。

 三つ目のカンカンは手のひらに乗らないくらい大きくて少し温くて、左右に振るとたぷたぷという液体の揺れを感じた。

 このようにカンカンは見た目こそ似ているのに、全てが異なる個性を持っていた。これだけたくさんの個性の中から、本当に目的のカンカンを探し当てることができるのか。そもそも残された時間で目的のカンカンと疑われるカンカンに巡り会えるのか。巡り合うためには、一体あといくつのカンカンを振らなければならないのか。思考する時間すらも、もったいなく感じられた。

 再び照明が音を立てて落ちたが、私達はカンカンを振り続けた。天井の照明は最初の25%しか稼働していない。手元は大分暗かったが、カンカンを探すのに支障はなかった。しかし手にとっていないカンカンはまだまだある。私と大五郎は急ぎながらも、焦らずに一つ一つ手にとって振り続けた。

 バチン。
 ようやく半分くらいのカンカンを確認した頃だろうか。とうとう最後の硬い音が響き、天井に埋め込まれた照明は全てが休眠に落ちた。真っ暗な世界には、金魚の形をしたカンカンも、大五郎の姿も見えない。

「焦らないで。僕は暗闇に慣れて居るから、まだ探せるよ。」

 棚に伸ばしていた手に、冷たい金魚のカンカンとは違う、ふかふかとした柔らかいものが触れた。手探りで頭を見つけてぽんぽんと撫でる。見えなくても分かる。大五郎の頭だ。
 両手で大五郎の頭についた半月状の耳を揉んだ。私はまだ大五郎が私の部屋にいた時に、良くこうしていたものだった。

「ふふふ。くすぐったい。」

「すごく懐かしいね。」

 私は自分のほっぺたを大五郎のほっぺたにくっつけた。幼い頃よくこうやって大五郎の感触を確かめていたものだ。ふわふわの大五郎の感触は、幼い頃の私の、心の平静を保つのになくてはならないものだったし、今でもこのふわふわの持つ安心感は変わらないことがわかった。

「……大五郎、ちゃんとお別れできなくてごめんね。」

「ううん。僕の方こそ悲しませてごめんね。一緒に過ごせて本当に幸せだったよ。大切にしてくれてありがとう。」

 大五郎がほっぺたを押し返してくれた。ふにふにとした感触が自分の意志とは関係無しに頬を撫でる。それは幼い頃願っても叶うはずのない感触だった。

「……カンカンを探さないと。」

 惜しみながらも、大五郎を暗闇の中に下ろす。勿論手放したくなんてなかったし、今度こそずっと側にいてほしい。
 でもそれは望んではいけないことだと分かっている。駄々をこねた所で大五郎を困らせてしまうだけだ。
 分かっていたからこそ、私は自分から、大五郎から手を離した。
プロフィール

帝埜 やしる

Author:帝埜 やしる
 
好きな作家:
 村上春樹、森見登美彦

作品の内容:
・ローファンタジー
・夢で見た内容など

執筆中:
・くじらの夢
・時計部屋の鍵と少女
・時市

完結:
・背の高い刑事と傷の少ない
 犯人の話
・ワールドプラネット

短編:
・タッタカタン
・冬の香り
・砂浜で埋もれていた亀の話
・公演会と誕生日会
・Settle Down
・ガラスの外殻を持つランプ

即興小説トレーニング
・甲板の男
・死にかけの血液
・気付かない振り
・二つの朝
・夢

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