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くじらの夢 1

 こぽこぽこぽ。
 こぽこぽこぽ。

 小さな気泡が、緑色に濁った水槽の中を移動する。気泡の出発点は小さな穴だ。顔の先にある、小さな二つの穴。穴のすぐ上には、小さな出っ張りがあった。額にできた出っ張りを、私達は”角”と呼んでいた。

 角の持ち主は、濁った水槽の中にその大きな身体を沈めて殆ど動かない。ただゆっくりと、時が経つのを待っているのだ。その姿勢は、まるで死を待つようにすら見えた。

「ごめんなさい。 まだあなたを開放するわけにはいかないの。」

 水層に手をついて、主に声を掛ける。分厚いアクリルの向こうにいる主は、私の声を聞くや否や大きな身体をぐるりと翻し、大きく肥大化した目をこちらに横付けした。それから真っ黒な瞳を動かして、私を見て、瞬きをした。

 こぽこぽこぽ。

 額に突き出た角の真下の穴から幾つかの気泡が生まれ、水面へと上っていく。主は私が声を掛ける度に、こうやって、まるで挨拶でもするかのように大きく瞬きをして、角の真下の穴から気泡を吐き出すのだ。

 主というのは、私が勝手に心の中でそう呼んでいるだけであって、事務的には「BM‐02」と呼ばれている。Balaenoptera musculusの頭文字をとってBM、二頭目だから02。



 まだ水槽の水が透明であったとき、主の体長は約15メートルで、体重は約44.8トンしかなかった。青に近い灰色の皮膚には白のまだら模様がいくつもあり、喉から胸にかけて純粋な白色が広がっていた。そして分厚い皮膚の至る所に、ごつごつした白いコブがあった。

 主は、立派なシロナガスクジラだった。
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くじらの夢 2

 本来ならば広い海原を大移動しているはずの主の姿は、この地獄の箱に入れられた当初と比べると、その変わり様は一目瞭然だった。

 現在、主の身体の大部分は、濃灰色をしている。額からは小さな角が生え、瞳は一メートル程にも肥大化していた。

 また、瞳の肥大化に伴って主は眼球の可動性を手にした。もともと、くじらは眼球を動かさない。自分の体側に見たい物があれば、その大きな身体をわざわざ動かして視界の中に物体を捉えるのだ。しかしながら主は眼球を自由に動かすことができるため、狭い水槽内においても自由に上下左右を眺めることができた。

 加えて、主は声帯を失っていた。元来シロナガスクジラは、地球上に存在する全ての動物種の中で、最も大きな鳴き声をあげられる動物種である。その声を使って百五十キロメートルも離れた仲間と連絡を取る事ができるのだ。しかしながら主は声帯を失ってしまったため、現在主が持っている連絡手段はというと、せいぜい噴気孔から気泡を生む事くらいしかない。

 しかしながら主には、他のシロナガスクジラとは比べ物にならないほどの高い知能があった。元々、クジラは他の動物種に比べて知能の高い動物であることが知られている。その証拠に、捕食の際に複雑に泳いで餌を集めたり、地形を利用して魚を一箇所に追い込んだりすることが報告されている。捕食だけでは飽き足らず、食べもしない魚を集めて脅かして遊んだりもするらしい。しかしながら主の知能は、元のシロナガスクジラの知力を大きく上回っている。いうなれば、ヒトと同等、場合によっては、それ以上の知能をもっているとの結果が出ていた。

 本来ならば持つはずのなかった知能を持たせ、からだを様々に変化させてしまったのは、紛れもなく私達の仕業である。
 私は動物種の進化、知能の獲得に伴う身体変化に昔から興味があり、この研究グループではまさにその知的好奇心を満たせるような実験を行っていた。
 本来ならば企業や政府と協力しなければ、こんな大掛かりなことはできない。けれども私達はそのどちらからも援助を受けずに研究を行っていた。この研究が大成すれば、不死が手に入ると信じて止まない層がいるらしいのだ。私達の研究は、そういった層から財源を得ていた。

 ぶくぶくぶくぶく……。

 唐突に、主が勢い良く泡を噴いた。それから一度だけ私を見て、尾びれを翻してそっぽを向いた。水槽の中では主の大きな尾びれが、ゆらゆらと水中を扇ぐように動いている。なんとなく、主の機嫌が悪くなったのだと悟る。

「やぁ、どうかね。 順調に進化しているかい?」

 不意に暗闇から声が掛かる。主は水槽の外が明るいのを好まないので、水槽の中はややライトアップされているものの、廊下は照明がなく真っ暗なのだ。その真っ暗な廊下の奥から、しゃがれた男性の声が静かに響いた。

くじらの夢 3

「……そうですね。 先刻行われた知力テストの結果は上々ですし、急激な進化による負担もさほど見られていません。」

「そんな事はどうでもいい。 何か、新しい変化はないのかね? 翼とか、角とか。」

 ふっと、暗闇から輪郭が浮かび上がる。その姿はやがて、後ろで一つにまとめた長い白髪と、薄汚れた白衣と、丸い銀縁の眼鏡を明確にした。顎には髪と同じ色の白い長い髭が生えていて、腰はドーナツのように丸く曲がっている。彼はこの研究所の最高責任者であり、現在効果を検証中の、哺乳類生物の知能を上げてその知能に見合った進化を促進するたんぱく質を製作した生物遺伝学者でもあった。つまるところ主の身体をここまで変化させたのは、彼の発見したたんぱく質と、そのたんぱく質を利用するためのプロジェクトを発案した彼の仕業なのだ。だから主が不機嫌になるのも、当然と言える。

「羽根は生えていませんが、額に、小さな角のようなものが見られますね。 でも、どうして天敵のいないクジラに、角が生えるのでしょうか。」

 研究所の所長たる老人に、ありのままに変化を伝える。すると暗闇からぬっと出てきた青白い顔は、私の言葉を聞くなり、枯れ木の枝のように細く乾いた身体を大きく反らして、晩秋の枯葉のように、かさかさうるさい笑い声を挙げた。しばらく笑って、笑って、やがて老人は大きく一息ついて、それからようやく口を開いた。

「そうかそうか、角か。 そうかそうかそうか……。」

 所長は喜びとも悲しみともとれる、複雑な顔をしていた。彼と違ってまだ対してキャリアを積んでいない私にとって、彼の反応が一体どちらなのか判断つかなかった。これはつまり、今主に行っている実験が成功しているのか、失敗しているのか、私には判断つかないのだ。かといって、私は彼を尊敬こそするものの、憧れはしていなかった。彼のように生態系を狂わせる可能性があるたんぱく質を開発して、それを動物に投与するなんて、明らかに常軌を逸脱している。私はお金が貯まって次の就職先が決まれば、すぐにでもこの研究から手を引きたいと思っていた。

「君は、何故この実験体が角を得たのだと考える? 翼ではなく、角を。 角とは元来、とても悪魔的な意味を持つ。 鬼にや悪魔、悪魔の使いとして信じられたヤギには角がある。 悪魔に乗り移られたように怒り狂う人間を“角が生えた”なんて比喩するだろう? 角とは、いつの時代にもどの国にも、常に悪魔的であるんじゃよ。 しかしな、悪魔的ではありながらも、角というものは常に、人間の憧れを背負ってきた。 鬼にも悪魔にも、どう足掻いても敵わん。 だからこそ人間は、人間には無い物を、象徴として付加したのじゃよ。 それが、角なのだ。 だから角とは悪魔的でもありがなら、神聖でもあるんじゃよ。」

「はぁ。」

「現に、ペガサスと呼ばれる空想上の生き物がおるじゃろう。 馬に角が生えた空想上の生き物じゃ。 馬に角を生やすことで、神聖であり、かつ、あまり近づきすぎると不幸を見舞われるという悪魔的な要素も持ち合わせておる。 従って、」

 老人はアクリルの水槽を、タンとこぶしで叩いた。叩かれたアクリルが、小さく反発を起こして跳ね返ったため、鈍い小さな音だけが響いた。

「実験体は、神聖さを求めたのじゃよ。 神聖で、かつ悪魔的な角を。 天敵なんて必要ない。 奴が見ているのは、自分以外の全ての生物だ。 角を持たない全ての生物から一つ上の段階へと上がる事で、神聖で、人間や他の生き物には手の届かないところへ行くのだよ。 わかるかね? つまり、」

 そこまで言うと、老人はアクリルの水槽に背中を合わせるようにして、しゃがんだ。それから再び、今度は少し強めに、アクリルの水槽を叩いた。ダンッと、アクリルは再び鈍い音を立てたが、その音は薄暗い廊下に反響する程度には大きかった。

「……知能を持ってもやはりクジラはクジラだったということじゃ。 いくら知能を高めても勝利できぬから角を、神聖さと悪魔的な象徴である角を生やし、人間とは違う階層にいると思い込む事にしたのだろう。 ……実に短絡的で、愚かじゃ。」

 言い終えると、老人は曲がった腰を起こして立ち上がり、再び水槽に対面する。未だ不機嫌そうに大きな尾びれが上下に揺れているが、老人の瞳はその規則的な動きを追ってはいなかった。どちらかというと、主の姿を見るというよりは濁った水をただ眺めているように見えた。

くじらの夢 4

「……もうこれ以上の進化は見込めまい。 ややたんぱくを打ち込む間隔が短かったようだ。 次はワンサイクル分間隔を長くして様子をみる事にしよう。」

 言い捨てて、老人は暗闇へと戻り始めた。私は老人の言った言葉を頭の中で何度か反芻して、それからようやく言葉の意味を理解する。しかしながら、理解はできても受け入れることができなかった。慌てて闇に消えゆく老人を見る。

「ま、待ってください! それって、つまり……」

 暗闇に足を踏み入れていた老人の顔が、ぬっと、こちらを向いた。それからため息でもつくような顔をして、面倒くさそうに口を開いた。

「決まっておろう。 そいつは失敗じゃ。」

 口の中が乾いて、うまく言葉を発することができなかった。私にはこの後老人が口にするであろう言葉が、手にするように解ってしまう。なにせ主はここへ来たBalaenoptera musculusの、二頭目なのだ。主の前任である一頭目が失敗を言い渡された際に、一体どうなったのかをよく知っていた。
 前任の主は、――。

「……処分しておいてくれ。 手順は前回と変わらんでな。 頼んだぞ。」

 酷い吐き気が込み上げる。手が嫌に汗ばんで、震える。
 私の手のひらに、一頭目を屠る際に引いたレバーの、合成ゴムでできたグリップの感触が鮮明に蘇っていた。

「…………はい、わかり」

 言いかけた時だった。

 キィィィィィイイイイイイイイイイン――
 唐突に、音叉を金槌で殴ったような、振幅の狭い頭痛が私を襲った。あまりの激痛に、立っていられずよろける。よろけた先でアクリルの水槽に手を突くと、緑色に濁った水槽の中で静かにこちらを見つめる主の、大きく肥大化した真っ黒な瞳と目が合った。

「なに、これっ……。」

 あまりの激痛に視界が歪む。歪んだ視界をどうにか廊下の先へ動かすと、暗闇の中で老人が頭を抱えて悶えているのが見えた。
 どういうことなのかさっぱり分からない。彼にも、私と同じ痛みが……?

 キィィィィイイイイイイイイイイイイン――
 再び音叉を金槌で殴ったような激痛が頭に走った。

くじらの夢 5

「い゛っ!!」

 痛みのせいでうまく閉じれられない瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれる。一体何がなんだかわからない。頭痛の原因も、改善策も皆目検討もつかなかった。しかしながら痛みの余韻はやがて、ぼんやりとした白色の世界をもたらした。照明の無い廊下なのに、やけに視界が明るい。いくら視界が涙で滲んだところで、光度を増すなんて有り得ない。しかしながら私の視界は、まるで下からライトアップでもされたかのように明るくて、眩しさすら覚えた。
 それから少しすると、世界はやけに静かになった。静かといっても、ダンボールの箱を頭に被ったような、ぼんやりした静けさだった。痛みによる耳鳴りのようなものかと思ったが、それにしては、耳に痛みはない。

 キィィィィイイイイイイイイン――
 再び音叉を金槌で殴ったような高音が響く。しかしながら、先ほどまでのような音に対する痛みは感じられなかった。なんだか先ほどまでの高音と比べるとやけにぼんやりして聞こえる。音の響きも、いやにゆっくりして聞こえた。あんまりの違和感に思わず暗い廊下に目を向ける。私が目を向けた先では、老人が床に突っ伏して頭を抱えていたが、やがて私と同じく頭から手を離し、辺りの様子を伺いはじめた。

「これは、一体……」

 私が小さく、口を開いた時だった。

『 ワタシは ユメをミる。  ヒロいソラをワタる ナガいナガいユメを。 』

 耳に心地良いメロディと共に、優しい声音が脳をくすぐった。その声は男性のように低く、女性のように柔らかかい。なんだかとっても不思議で、どこか懐かしさを感じる声だ。

『 このミにテキはナいけれど ツノにショウチョウのイはナい。 』

 びぃぃぃいいいいん。
 音と共に、アクリルに添えていた手がびりびりと震える。ふとそちらに視線を移すと、手のひらの向こう側にあるアクリルが、ぐにゃぐにゃと凹凸に揺れていた。あまり柔らかいものではないのに水面のように揺れていて、こんにゃくかナタデココにでもなったのかと錯覚する。

 びぃぃぃいいいいん。 
 再び音が響いた。それはどこかくぐもったような、鈍い音だった。そしてその音は、私のすぐ側から発せられているような気がしたが、確信が持てなかった。私の聴覚は未だに、ダンボールを被った時のようにぼんやりした静けさの中に閉じ込められていた。
 アクリルの水槽から離れて、後ずさって、廊下の冷たい石壁に背中をもたれる。頭痛はもはやなく、涙も止まっていた。視界は未だにやけに明るいが、もともと廊下が暗すぎたため、もう目が慣れて眩しくはない。

 こぽこぽこぽ。
 気泡が水の中を上がっていく。その音はやけに鮮明で、水泡が私の鼻やおでこを撫る感触さえ感じられた。また、世界は酷く濁っていた。やや緑色のがかった、濁った世界。なんだか主の水槽の中から世界を眺めているようだった。

『 このツノは 』

 びぃぃぃいいいいん。
 不思議な声が聞こえた後に、主の身体が勢い良くアクリルに打ち付けられた。どうやらアクリルの水槽をぶち破ろうと、主が体当たりしているらしい。しかしながら主には、そのアクリルは破れない。アクリルは伸展性が高いのだ。アクリルを破るためには鋭利な刃物が必要であり、主はそんなものを持たないのだ。

『 アルジのトオり 』

 びぃぃぃいいいいん。
 再び不思議な声が聞こえ、主の体当たりした音が響いた。体当たりを受けたせいで、伸ばされたアクリルが白く濁っている。いくら引き伸ばしたところでアクリルは破れない。主の体当たりは、何の意味も成さないのだ。
 
 そう安心していた私の心は、しかしながら再びアクリルに向かって突進する主の姿を目にした時に、一気に掻き乱された。主の額から、角が生えているのが見えたのだ。ほんの少し皮膚が盛り上がった出っ張りのようなものではない。一角獣にも劣らないほど立派な、長くて細い角だった。

『 ブキをナす。 』

 ぐぐぐぐぐ……ざくっ。
 不思議な声の後に、嫌な音と共にアクリルに角が突き刺さるのを、私の視界が捉えた。
プロフィール

帝埜 やしる

Author:帝埜 やしる
 
好きな作家:
 村上春樹、森見登美彦

作品の内容:
・ローファンタジー
・夢で見た内容など

執筆中:
・くじらの夢
・時計部屋の鍵と少女
・時市

完結:
・背の高い刑事と傷の少ない
 犯人の話
・ワールドプラネット

短編:
・タッタカタン
・冬の香り
・砂浜で埋もれていた亀の話
・公演会と誕生日会
・Settle Down
・ガラスの外殻を持つランプ

即興小説トレーニング
・甲板の男
・死にかけの血液
・気付かない振り
・二つの朝
・夢

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