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甲板の男

「どうです? 新品みたいでしょう?」

 甲板を見下ろしながら、男は言う。私は端から端までゆっくりと見渡して綻びが無いかを確かめてから、深く頷いた。

「ええ。 いい香りだ。」

 私の隣にいる男が小さく頷きながら私の言葉を聞く。 彼は先ほど私がしたのと同じように、甲板の端から端へと視線を動かしていた。 私と彼の足元から、新築の家のような木の香りが舞っている。 私の隣に佇む男は、甲板の板を張り替えることに長い人生を費やしてきた、信頼の置ける人物だった。

「いやぁ。 これまでに私が張り替えたのは、ここのは四艦かな? どれも広くてね。 結構大変なんだよ。」

「それは、そうでしょう。」

「まぁ、その苦労もいつかは懐かしく思うんだろうよ。」

 笑いながら言う男の、手すりを掴む手に力が入る。 男の瞳は、水面を映したようにきらりと光っていた。

「長い間、本当にお世話になりました。」

 私は被っていた帽子が落ちぬように気を付けながら、深く頭を下げた。

「まだまだ未熟な奴ですが、倅をどうかよろしくお願いします。」

 男も私の方を向いて深く頭を下げる。 私達は互いに頭を下げたあと、強く握手した。
 それは戦友と交わすものに限りなく近く、それほどまでに私達は、本当に長い間、相棒とも呼べる仲であった。
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死にかけの血液

「首の動脈に太い管を刺し込むと、注射と同類の、差し込まれた瞬間の痛みはあっても、死に行く痛みは感じずに死ねます。

 切り口もわずかなので、遺体もほとんど汚れません。

 久し振りに一日中運動をして疲れた日は、ベッドに入ると、まるで手足がばらばらに溶けていくような感覚になるでしょう?

 それとほとんど同じ様に、ただ気持ちよく眠りにつくように意識をなくすことができるのです。

 抜いた後の血液については、管の先にタンクを用意しておりますので、そのタンクから輸血パックへと封入できる設備を整えてあります。

 封入した血液パックはは適切な低温環境下で保管され、後に提携先の医療機関に引き取られます。

 急な事故や手術の予備として必要になることもあるので、いつ医療機関に渡るかについては、正確にお答えする事は出来ません。

 ここまでで何か質問は?」

 白衣に身を包んだ男性は、早口で説明した後に一息つくように私に尋ねたが、私は何も答えなかった。 私の視細胞は水をすってぶくぶくに膨らんだかのように、男の姿を酷くぼんやりとしか捉えない。

 手を伸ばせば届く距離に居るような気がするのに、白衣の裾を掴んで、色々と問い詰めたいことがあるのに、私の手は石のように重たくて、1ミリだって動かせそうになかった。

「ないようですね。 では、続けますが、」

 男の姿が黄色味がかった壁や天井や床に溶け込んで完全に輪郭を失ってしまったので、私は自分の顔のすぐ傍にあるはずの太い管に視線を移した。 管があるべき場所にすら、すでに管らしき輪郭は見えず、どこからどこまでとはっきりとは分からないが、赤いことだけは分かる。 これはおそらく私の体から抜かれたばかりの血液なのだろうが、なんだか実感がわかなかった。

 私は赤いぼやけた道を辿って、その先にある銀色の物体を見た。 彼の話の通りならば、あの銀色のものが血液を集めるためのタンクなのだろう。 わたしの目がうまく機能していないので正確には分からないけれど、そのタンクは人間一人の血液を集めるにしては大きすぎるように思えた。 まるで牧場にある牛の乳をためて置くためのタンクそのものだ。 私の血液は、牛の乳と同じようなものなのかもしれない。

「勿論、タンクは滅菌済みですよ。 洗浄後に高圧滅菌をかけています。」

 男の声が遠くで響く。 銀色のタンクの方を眺めていると、まるで自分が家畜にでも成り下がったような不快感を覚えるため、再度赤い道を見た。

 自分の体の一部が自分の体の外へと絶えず流れ出るというのは、とても不思議な感覚だった。 まるで世界に自分が溶けていくようだ。 溶けきった私の体は、個はなくしてしまうけれど永久に世界の一部として存在し続ける。 なんだかそんな風に思えて、そういうのも悪くないと思い始めていた。

「どうですか? なかなかに良い心地でしょう。」
 
 確かに、酷く疲れた日にベッドに入った時と似たような感覚が私を襲い始めていた。 
 まどろむように、私は死に行くのだろう。

「    」

 私は声にならない言葉で彼に尋ねた。 彼に聞こえていたのかいなかったのかは分からないが、私の言葉を聞いて彼は再度早口でなにかを説明しだした。

聞こえない振り

 額を汗が流れて、耳の側を通って、顎に溜まって、やがて落ちた。 前髪は既に張り付いている。 開け放ったままの扉から湿気と乾燥のどちらの要素も伴った、春らしい風が吹き込む。

「毎日しているの?」

 尋ねられて答えようと口を開いたが、うまく言葉にできなくて僕は口を噤んだ。 はいと答えれば良いだけなのに、何故だかいやに緊張して言葉をうまく話せる自信がない。

「もう、止めるの?」

 再度尋ねられる。 僕は一度目をぎゅっと瞑ってから、深く息を吸い込んだ。 土や木や花が準備をしている香りが、僕の肺の中を満たす。

 肺の中を一度空っぽにして、再度満たしてから、僕は竹刀を強く握った。 それから両手で握って、頭上に掲げて、下ろす。 掲げて、下ろす。 何度も何度も。 道場には僕の竹刀が風を裂く音と、僕の足音と、彼女の甘い気配があった。

「やっぱり、君は真剣な姿が一番素敵ね。 本当、また見られてよかった。」

 いいながら笑う。 僕は彼女の声が聞こえないように、竹刀を振り続けた。 彼女の透き通る声は、竹刀を振った程度の音で掻き消されるわけがないのに、僕はそれに気付かない振りをして、振るのをやめなかった。

「……そろそろ、帰るわね。 本当に、今日は会えてよかった。」

 笑みを含んだ寂しそうな声で言って、彼女が立ち上がるのが分かった。 僕は振り向かずに、ただ振り続ける。

 やがて彼女の移動に合わせて床の軋む音がして、気配が消えた。 そうなってからようやく、僕は竹刀を振るのをやめた。

「先生……。」

 小さく呟く。 彼女は僕が三年間お世話になった部活の顧問だった。 竹刀すら握った事のない様子だったが、部員は幼い頃からの経験者である僕一人だったため特別不満はなかった。

 彼女は先月入籍した。 本当はもっと早くに籍を入れるつもりだったらしいのだが、どうやら僕の卒業を待ってくれたようだ。

 きっと本当は気付かれていたのだと思う。 それを今夜、僕が言葉にするかもしれないと警戒していたのかもしれない。 どうであれ既に新居のある遠い町に越した彼女が僕に会いに来てくれたのは、許されないことのような気がした。

二つの朝

 私には朝が二つある。 一つは他の人と同じ時間帯、たとえば陽が昇る前から弁当を作りはじめる人ならば4時半であり、午前の講義やゼミのない大学生にとっては10時である朝だ。 あなたの思う朝とは何時頃ですかと尋ねた場合に、もっとも答えの多い時間帯だろう。

 もう一つの朝というのは夕方6時から6時半である。 私の慣れ親しんでいる表現で言えば18時頃。 夜仕事場に向かい、日付をまたいで早朝帰宅する私の起床時間でもある。 私の生活はいつもこの時間帯から始まるのだ。

 朝というのは、陽が昇ってから正午までの間の数時間を指すものらしい。 全く異論はない。 まぁ、そうだろうと頷けるぐらいだ。

 けれどもその理論で朝を定義してしまうと、いくつか弊害が出てしまうことにお気づきだろうか。 例えば弁当を作るために早起きする人だ。 午前4時30分というのは、春夏は確かに朝であるといえよう。 けれども冬に関しては、必ずしもそうであるとはいえない。 冬というのは陽が最も働かない時期なのだ。 春夏には確かに朝であった4時30分も、冬には朝ではない時間になってしまうのだ。 お弁当を作るために起きる人は大変早起きしているのではなく、夜早くに寝て夜中の内に起きているということになりかねないのだ。

 別にそんな事はどうでもいいと考えるかもしれない。 たとえ言葉の上では朝でなくとも、時間の上では朝なのだから構わないのではないかと。 そう言われてしまうと多少困ってしまうのだが、そうならない材料についても勿論用意してあるので安心して欲しい。

 設定が細かくて申し訳ないのだが、たとえば真冬の午前4時30分から、どこかのダムの側で土木工事を開始しなければならないとしよう。 配布資料には早朝4時30分とはなく、朝の4時30分に作業を開始しますので、10分前に集まってくださいとあったらどうだろうか。 存在しない時間帯を指定されているという屁理屈をこねることができてしまうのだ。 それでは現場監督も依頼主も大変困ってしまう。 たしかにそう言われればそうかもしれないけれども、と納得せざるを得ないかもしれない。 そうならないためにも、陽が昇ってから正午までのいくらかの時間を朝と定義してしまうのはよくないのだ。

 だから私は朝という単語を、人間が目を覚まして働くなどの活動を開始する時間帯という意味で捉えている。 こちらの意味で捉えれば、弁当を作るために早起きする人にも、午前の講義がなくて昼前に起きる人にも、私のように昼間に寝床について夕方に起きる人にさえも、平等に朝が訪れる事になるのだ。 朝というのは、望めど望まねども、人類に平等に与えられるべき権利のようなものだと考えている。 現代の言葉で代替するならば、日照権のようなものだ。 人々は人間生活を送る上で、朝権を平等に手にしているのだ。

 そう言うわけで、私には二つの朝がある。

 勿論これが屁理屈であり、詭弁であり、(たとえば白夜などで)朝を迎えなくとも人間生活を送るに支障はないことを私はよく理解しているし、反論の余地はないと気付いている。

 昨日、小さい男の子の手を握って色々な場所を巡る夢を見た。 男の子の手は暖かくてぷにぷにしていて、私の手に隠れてしまうくらい小さかったのを覚えている。 髪が茶色くて、前髪が少しぎざぎざしていた。 おそらくお母さんが切ったのだろう。 真新しい赤のトレーナを着ていて、青い柔らかい生地のズボンを履いていて、まだ歩くのがそんなに上手じゃない。 あんまり詳しくは覚えていないけれども、そんな感じの子だったと思う。
 
 その子の名前は分からないけれど、私はその子についての一通りの知識を持っていたように思う。 夢の中では名前を呼んでいた気がするし、その子の母親や父親に面識があった気がする。 その子の好きな物を食べさせるために、いくつものお店を巡ったような気がする。 ケーキ屋さんや、ファミレスや、駄菓子屋や、お好み焼き屋さん。 結局その子は最後に入った小さな洋食店が気に入り、オムライスを選んだ。 真っ赤なチキンライスに半熟過ぎない玉子が乗った、ありふれたオムライスだった。 でも男の子はそれをとても美味しそうに、一生懸命食べていた。
 
 夜になると、男の子は眠たそうに目を擦りはじめた。 まるで現実のように、私の夢の中では時間が流れていたのだ。

 眠気と疲れで歩けなくなったその子を抱っこすると、見た目よりも以外と重たかった。 はやくおうちに帰さないと。 そう思う一方で、彼の両親に返してはいけないという思いが私の中を駆け巡った。 理由は思い出せなかったけれども、私の中には彼を家へ帰してはいけないという確固たる意志があった。
 
 結局私はその子をおうちには帰さずに、私の行きたかったグランドホテルの屋上のビアガーデンへとつれて行った。 丁度、オクトーバーフェスが開催されていて、見慣れないオレンジがかったカラーのビールや様々な形のソーセージがテーブルに並んでいた。 立食ではなくちゃんと席が用意されていて、男の子の席も私の隣にあった。 彼の席には分厚いクッションが敷かれていて、かつ他の椅子よりも足が長かった。 彼が食事をするのに困らない高さだった。
 
 椅子に座らせてあげると、彼は周りの喧騒によって段々と覚醒していった。 私がハーブウィンナーを切って口へ運んであげると、まだ少し眠そうなとろんとした目でウィンナーを捉えて、ぱくりとかじりついた。 
 
「あら、どうしたの? その子。 随分眠そうじゃないの。」
 
 向かい側に座る男性が言う。 四角い顔に尖った顎、広い肩幅。 けれども彼は、パーティドレスを身に纏っていた。 大胆に肩を露出しており、おそらく背中もざっくりと開けているタイプのものだろう。 色は紫か、ピンクか、水色だったと思う。 見るたびに色が変わっていたような気もするし、あまりはっきりしない。
 
「本当はおうちに帰したかったんだけど、この子の両親、今日は仕事で帰らないのよ。」
 
 これは、嘘だ。 おそらく私は、もっと別の理由で彼を返さなかったのに、それを正直に口にすることはできなかった。 憚られた。 私はすらすらとこの子を返さなかった偽りの理由を、男性に述べていたのだった。
  
「まぁ、可哀想ねぇ。 こんなに可愛い子を置いて仕事だなんて。 アタシ嫉妬しちゃうわ。」
 
 彼はうーんと唇を尖らせてそういった。 彼の手にあるジョッキはもうほとんど空だ。
 
「それにしたって、ここはないでしょう。 流石にかわいそうじゃないの。」
 
「確かにそうかも知れない。」
 
 私は彼の言葉に従い、迷った挙句、私の家に連れて帰る事にした。 彼をどうして家に帰さなかったのか、理由は結局思い出せない。 しかしながら、私が覚醒直前に抱き上げたその子の体温と柔らかさとミルクのような甘い香りは今でも覚えている。
プロフィール

帝埜 やしる

Author:帝埜 やしる
 
好きな作家:
 村上春樹、森見登美彦

作品の内容:
・ローファンタジー
・夢で見た内容など

執筆中:
・くじらの夢
・時計部屋の鍵と少女
・時市

完結:
・背の高い刑事と傷の少ない
 犯人の話
・ワールドプラネット

短編:
・タッタカタン
・冬の香り
・砂浜で埋もれていた亀の話
・公演会と誕生日会
・Settle Down
・ガラスの外殻を持つランプ

即興小説トレーニング
・甲板の男
・死にかけの血液
・気付かない振り
・二つの朝
・夢

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